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2004年7月26日号
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今回のコラムは玉岡かおるさんに書いていただきました。兵庫県で生まれ育った玉岡さんは、神戸で女子大時代を過ごした。その神戸で拉致が行われていたことが許せない思いだ。蓮池さんや地村さん等被害者と同世代。あの頃流れていたユーミンの歌、サザンの歌。カーステレオから流れる歌を背景に、海辺へと走った恋人たちはどれほどいたか。 |
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拉致はあった、生存の五人を帰国させる、という衝撃のニュースを知った時の驚愕は、今も忘れることができない。五人とも、自分と同じ年代の方々だったというせいもある。蓮池さん、地村さんたちの運命が、決して自分の身には起こり得なかった、ときっぱり否定できる者は、おそらく同世代にはいないだろう。彼らが拉致された'70年代後半の日本の風景を思い出してみればいい。あの頃流れていたユーミンの歌、サザンの歌。カーステレオから流れる歌を背景に、海辺へと走った恋人たちはどれほどいたか。戦争を知らない子供たちと呼ばれ、高度経済成長の落とし子とも言われ、上の団塊の世代と比べれば格段の差で物質的にも恵まれた若者だった私たちに、よもやどんな翳りが想像できただろう。たまたまそれが、工作員の出没しない海であったというだけで明暗を分けたにすぎないこの事件。この国で、そんな厭うべき犯罪が起きていたなど、誰が考えられただろう。 だが実際に、拉致という国家ぐるみの犯罪は行われ、何人もの方々とその家族が人生をゆがめられた。本来ならば、そこにはどんな幸福な人生があっただろう。想像するのは残酷だ。 人ひとりいなくなれば、それがどれだけの喪失感を伴うか、若い日に母を亡くした私には痛いほどわかる。もうその人がいない、呼んでも答えてはくれないことを自分自身に納得するのにかかった時間はけっして短くはなかった。 まして、別れも告げずにかき消えた我が子なら、納得などいくはずもない。ご両親は、どれだけ恋しく、せつなく、胸ひきさかれる思いで眠れぬ夜を過ごされたのだろう。元気でいるか、食べているか、寒くはないか。そばにいて守ってやれない親としての無力さを、どれだけ無念に思われたことだろう。想像するだけでもむごい。 今は人の子の親となったこの身には、ある日忽然と消えた我が子を想像してみるだけで胸がはりさけそうな気がする。 なのにそのころ、私たちは何も知らずにいた。死にものぐるいで我が子を捜してと訴える肉親に、国家がどれだけの動きをしてくれたか。そんな事実はない、と面倒を避けることに徹してきた卑怯さだけが明るみに出ている。 肉親たちの必死の叫びがようやく時代を動かし、ぶじに5人が帰国、北朝鮮で生まれた子供さんたちも呼び寄せることができた。だが曽我さん一家が帰国し、ほっと胸なでおろしたことは事実であっても、それによって、決してこの卑劣な国家犯罪の結末としてはならないのは当然だ。拉致被害は、横田めぐみさんを始め、まだ明白な回答を得られないまま進行中だ。生存を信じて帰りを待つご家族の心中を思うと、何もできない市民の力がむなしいが、それでも、この現実を忘れることなく、引き続き解決のために声を出し続け、国民の声という大きなうねりに育てていくことが大切だろう。 |
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玉岡かおる
昭和31年、兵庫県三木市に生まれる。神戸女学院大学文学部卒。 '87年『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞を受賞、同タイトル作品にて新潮社から作家デビュー。『サイレント・ラブ』『クォーター・ムーン』『ラスト・ラブ』(いずれも新潮社)など、関西を舞台にした長編小説が若い女性読者の支持を得る。ほかに『捨て色』(角川書店)『黒真珠』(新潮社)『水晶婚』(講談社) など著書多数。明治から昭和へ、女三代の家族のルーツをたどった三部作『をんな紋』(角川書店)が'97年に山本周五郎賞候補作となる。2003年「天涯の船」(新潮社)、2004年「蒼のなかに」(角川書店)と続けて大作を発表。 執筆活動の傍ら、テレビなどのコメンテイターや行政の各種審議会委員などとしても活躍中。 '00年加古川市特別文化賞受賞。現在兵庫県加古川市在住。 |
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