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2004年1月26日号
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今回のコラムは奥山貴宏さんから寄稿していただきました。『テレビなどからの情報垂れ流しに慣れてしまった身には難しいかもしれないけれども、少しだけでも被害者達の気持ちを想像すること。』我が事として想像することの大切さ。今の日本では単純なようでいて難しいことなのかもしれません。でも、それが解決への道でもある。 | ||
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想像力がそれほど豊かといえない僕ですら、北朝鮮に連れ去られた人々のことを時々考える。海岸を散歩している恋人達や中学生が突然何者かに連れ去られて、意思とは全く関係なく知らない国に連れ去られてしまう。その時には何人くらいの人達に取り囲まれたのか、抵抗を試みたのだろうか。彼らは武器を持っていたのだろうか、ボートに乗せられるときに洋服が濡れてしまわなかったか。北朝鮮までにどれぐらいの時間がかかったのだろうか、途中韓国の領海には入らなかったのか、海上保安庁とかが見つけることはできなかったのか。北朝鮮に連れて行かれてからはどんな取り調べがあったのか、どんな部屋に押し込められたのか、似た境遇の友人はできたのか、部屋には窓があるのか、料理は美味しいのか。朝鮮語はどのようにして教えられていたのだろう、与えられた服はダサく無かったか? ここ数年、北朝鮮の情報もメディアを通して伝えられるようになった。しかし、それらはマスゲームで示威行為をしたり、美女を選りすぐって囲っていたり、ガキに猿回しのような芸を仕込んでいたりと、まともな国のそれとはほど遠いものだった。テレビの画面に映し出されるそれらの情報はチャンネルを回し疲れたお茶の間の有識者達には格好の見せ物だったろう。けれども、笑っていられるのはそれがブラウン管の向こうにある間だけだ。もしその世界に自分が放り込まれてしまったら、一体どうなるのだろう。何ヶ月間も一糸乱れぬ行軍の練習をさせられ、マスゲームの練習中に我慢しきれなくなったオシッコを漏らし、テレビカメラが向けられればトランス状態になって「マンセー!」を繰り返し叫ばなければならない。そんなのはまだマシな方で地方に行けば圧倒的な物資不足でボロ切れみたいなのを身にまとい飢餓がはびこり、人々は雑草みたいなのを食んだりしている。 そんなところに自分が連れて行かれたら? 何も悪いことをしていないのに、たまたま運が悪かっただけで。誰かの置かれている境遇を自分の身に置き換えてみること、これは実際には相当困難な作業だ。正直言って僕の想像を遙かに超えている。なるほど、相手の身になったような気になることはできる。でも、やはり被害に遭ってみないと被害者の気持ちは分からないと思う。 日本という国の外交下手を差し引いても、国がとっている対応は十分と言うにはほど遠い。そこにあるのは、想像力の欠如だ。政治家だけでなくとも、国民が少しでも被害にあった方々の気持ちを想像できれば、もう少しまともな対応がとられたのではないか。少なくとも、これほど長い間ほったらかしにはならなかったと思う。 北朝鮮ではどんな正月を迎えるのだろう。テレビなどからの情報垂れ流しに慣れてしまった身には難しいかもしれないけれども、少しだけでも被害者達の気持ちを想像すること。それができれば問題は少しずつだけれど、解決に近づいていくものと僕は信じている。 |
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奥山貴宏(おくやま・たかひろ)
1971年生まれ。山形県出身。日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てライターに。 音楽、映像、パソコンなどのジャンルを得意とする。 31歳の誕生日を迎えて間もなく体調を崩し、 風邪をこじらせたと思っていたところ、肺がんと診断される。 近著「31歳ガン漂流記」 |
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