2003年12月8日号
 
今回のコラムは日本を代表する音楽家・服部隆之さん。「我々はもっとわがままでいい。」「自由自在のダイナミックな国民感情。これこそが最大の武器となりえる」という言葉は新鮮だ。

   
服部隆之
     
   

 国家と国家。いろいろと微妙な問題がある。国益であったり、過去の歴史に端を発するものであったり、その原因は枚挙にいとまがない。こんなことを漠然と考えるようになったのは十代後半からぐらいであろうか。難題がたくさんあるにせよ、この日本という国に生を受けた以上、国の最高機関の言動・決定は、まるで疑わずに信じて生きてきた。頼もしい両親のもとで日々を暮らしている子どものごとくである。

 約四半世紀が経過して、北朝鮮に拉致された五人の方々が首相の訪朝を機に帰国した。日本人が多数失踪しており、それは北朝鮮の関与によるものである・・。このことは国民ならかつて一度は耳にしたことのある言葉だが、風評の域を超えないとされてきた。わが国の政府でさえ事実が確認できないと主張してきたのだ。が、拉致事件は存在した。政府は嘘をついてきたのであろうか。それとも「国民よ、事情があるのだ。大人の分別をもって察してくれ・・。」とでも言いたかったのであろうか。

 そんなことはあってはならない。国民に対しての政府が嘘をつくことは許されない。永い間拉致問題を棚上げしてきた政府は許されない。更にまた、北朝鮮に存在する拉致被害者を救出できない政府は許されない。多少熱くなってきたがそれでも良い。この問題に関して日本国民は熱くならなければならないのだ。それは我々の権利であり義務である。国民は怒らねばならないのだ。それが出来ない国民が住んでいる国では国家としての意味がない。国の指導者はそんな国民の思いを敏感に察知し、我々が思いもつかないような手段で拉致問題の解決を図らねばならないのだ。それが国のリーダーたるべきものである。

 しかし、とりわけ日本は武力を使わずして事に当たらねばならないという制約がある。これは大変な事だ。特に今の世の中の様に「やったらやりかえせ」「自分の国は血を流さない様なキレイごとばかりを言っていないで、現実を直視しろ」などという、戦争を正当化するような考えが横行している時には尚更大変な事である。だが、ガンジーが非暴力で大英帝国を打ち負かした様に(でもインド側には血は流れてしまったが・・)、武力行使は空しい、核は空しいということを北朝鮮に知らしめるアイディアはないのかとわたしは考える。

 我々はもっとわがままでいい。国家間の微妙な問題はあえて無視しよう。そして、拉致被害者の方々のご家族がバラバラになったままの、悲痛な心境を人間として本能的に感じたい。理屈ではない。ただ痛みと悲しみを永遠に忘れないようにしよう。自由自在のダイナミックな国民感情。これこそが最大の武器となりえるのだから・・。

     
     
   
   
服部隆之(はっとり たかゆき) 
1965年11月21日生まれ。作曲家。
1983年に渡仏、パリ国立高等音楽院に入学し、1988年に同院を修了し帰国。「福山雅治」「椎名林檎」等のポップスから「鮫島有美子」「武満徹」等のクラシックまで幅広いアーティストのアルバムやコンサート等の編曲を手がける。その後、作曲家として、映画において1996年「蔵」、1998年「誘拐」及び「ラヂオの時間」の3作品が日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞する。テレビドラマでは「NHK連続テレビ小説『すずらん』」「HERO」「王様のレストラン」並びにミュージカル「オケピ!」等の作品があるほか、コマーシャルやゲーム音楽等多岐にわたる音楽ジャンルで作曲家として活躍中である。2004年(平成16年)1月より「NHK大河ドラマ『新選組!』」の音楽を担当する。
     
     
     
   
   

 

 

     
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